すみれやで石鹸を扱うという話しになったときに、私達の間で迷わず選んだ滋賀のマルダイ粉せっけん「びわ湖」。はじめて電話をしたとき、社長の中井さんは「うちの石鹸、そんなに売れへんけどいいの?」と。これはやんわり断られているのかと思いきや、次回京都へ行くときに取りあえず話しをしょうと言ってくださいました。まだ内装も終わっていない真冬のすみれやでは話し難いと、中井社長とスタッフ二人で近くのカフェへ。当日やってきた中井社長は、パンチパーマの強面(本当は実にやさしい方です)。これからこの方と商談するのかと思うとたじろいだのを覚えています。しかし、話し出した中井社長の瞳はとてもやさしく熱いのに驚きました。それは今も変わらぬままです。
そんな滋賀のマルダイ工場中井社長を、すみれや開店2年目を前にやっとスタッフ三人で訪ねてきました。
高度経済成長期から琵琶湖の富栄養化が顕著になり、1970年度半ばは、汚染がかなり深刻化していました。そんなとき、家庭から出る廃油を回収してせっけんへリサイクルという運動が始まりまり、日本初、廃油を回収し、その油脂100%の粉石けん製造、マルダイ石鹸本舗が設立されます。1980年には工場排水の排出規制に加えて、リンを含む家庭用洗剤の使用禁止という琵琶湖条例が制定されました。その追い風の中、せっけんの需要も多く、廃油の回収、せっけん製造、袋詰作業など全てを5人の従業員でまかなっていたそうです。
私たちが訪れた日は、せっけんの製造日ではなかったので、工場の中を見て回りながら説明をしてくださいました。マルダイ粉せっけん「びわ湖」は、せっけん製造工法の中でも手間のかかる高温炊き込み法で作られています。厚みのある大釜で、まず廃油から精製された物を煮ます。外気が零度を下回る真冬でも、釜に火入れ作業をしていると汗だくになるそうです。その火入れされたものに数回苛性ソーダーを入れ反応。その後釜から上げ、炭酸塩を加え粉砕→乾燥→袋詰。忙しいときは釜に火入れを月に12回ほどしていたそうですが、今は月に数回、ご夫婦お二人で作業をされています。現在見た目はきれいになった琵琶湖の水ですが、環境の変化に伴い水質も悪化をしているそうで、今また新たにせっけん運動の必要性を語っておられました。そして運動が下火になっても、中井社長はせっけん作りで生活をしていく、運動=生活にはならないということも言っておられました。
さて、そんなマルダイ粉せっけん「びわ湖」は水溶けが良く、手にもやさしく、使用後の成分分解性に優れていて環境を守ります。 また、原料にはソーダ灰(アルカリ助剤)しか混入していない為、お子様が口に入れても安心です。 もちろん洗浄力も大変優れています。
最後になりましたが、中井社長の趣味は油絵。たくさん賞も取っておられます。石鹸工場見学のあと、2階のアトリエで完成した作品、描きかけの物など見せて頂きました。ご自分の作品を語られるときの中井社長は、石鹸の話しのときよりも少し肩の力が抜けていました。人生の中で苦労、悲しみにくれていたとき、絵を描くことが助けになったとしみじみ話してくださいました。(朝夏)
ふだん自宅で愛用しているマルダイの粉石けん。洗濯、食器洗い、お風呂掃除にトイレ掃除となんにでも使っています。この石けんはどうやって作られているのだろう?と前々から気になっており、今回やっと工場見学が叶いました。
中井社長のお話で印象的だったのは、昭和55~56年頃に盛り上がった石けん運動が徐々に衰退してしまったこと。一時は街じゅうの合成洗剤を片っぱしから粉石けんに取り替える活動まで行われていたそうですが、それも束の間、40年近く経った現在びわ湖の汚染はひどくなっているそうです。
人々の関心がなぜ薄れていってしまったのか、一同「ウーン・・」となってしまいましたが、そんな運動の栄枯盛衰を冷静に受け止め、何十年も淡々と石けんを作り続けている社長の姿に強い思いを感じました。「命を運ぶ仕事とまではよう言わんけど」とおっしゃっていたのが印象的でした。
水の汚染と人の身体の汚染はワンセット。使う石けんの選択1つが、守れるもの、失うものの分かれ道になると思います。こうして石けんを作り続けている中井社長への敬意とともに、すみれやでこの石けんを置かせていただけることがありがたく、色んな方に使っていただきたいなと改めて思いました。(藤倉)
「継承してもらうための覚悟」ということを、今回中井さんのお話を聞く中でとても考えてしまいました。中井さんがこれまで培ってきた技を誰かが継承してくれたらいいなぁとずっと思っていたのですが、そんなこと、中井さんが一番考え抜いてきたのでしょう。市民運動が盛り上がったときから運動がほとんどなくなってしまった今まで淡々と高品質の石けんを作り続けてきた中で、そんなに簡単に人に頼めることではないということを彼は痛いほど感じているようでした。悟りの境地というのか。
石けんに限らず、先人の知恵や技を引き継いで生活していくというのは、きれいごとだけではいかない部分があるのだということ。そういったことをすみれやがどこまで一緒に考えていけるのか。などなど、重い宿題をいただいた気持ちです。(春山)